2019遠征隊 メンバーリスト

遠征隊メンバーは2013年エベレスト隊のメンバーを中心とした一流の登山スペシャリストたちです。

メンバー(年齢・2019年 1月現在)

名前 年齢 担当
三浦雄一郎(86歳)遠征隊・隊長
三浦豪太(49歳)遠征隊・副隊長 生理モニター、通信 記録、食糧、会計、装備
倉岡裕之(57歳)登攀リーダー ロジスティックス、写真 担当
平出和也(39歳)カメラマン、映像
中島健郎(34歳)登攀サポート、記録、食糧、装備
大城和恵(DR) チームドクター 医療
貫田宗男(67歳)遠征ロジスティックス、現地リレーション、通信

メンバー プロフィール

三浦 雄一郎 みうら・ゆういちろう

1932年 青森市生まれ。北海道大学獣医学部卒業。’64年スキーのスピード競技であるイタリア・キロメーターランセに日本人として初めて参加、当時の世界記録樹立。’66年、富士山直滑降。’70年エベレスト・8000㍍世界最高地点スキー滑降を成し遂げ、その記録映画はアカデミー賞を受賞。’85年世界七大陸最高峰のスキー滑降を人類初、完全達成。2003年5月、次男の豪太とともにエベレスト(8848㍍)登頂。当時の世界最高年齢登頂(70歳)と初の日本人親子同時登頂の記録を樹立。’08年75歳2度目、’13年80歳で3度目のエベレスト登頂、最高年齢記録更新と人類のさらなる可能性を広げている。アドベンチャー・スキーヤーとして世界幅広く活動するとともに、全国に1万人以上の生徒がいる広域通信制高校、クラーク記念国際高等学校の校長も務める。記録映画、写真集、著書多数(2013年 日本政府より 三浦雄一郎記念日本冒険家大賞が創設される)

三浦 豪太 みうら・ごうた

1969年 神奈川県鎌倉市生まれ。家族とともにアフリカ、キリマンジャロを最年少(11歳)登頂。’91年よりフリースタイルスキー、モーグル競技を始め、以来10年にわたって全日本タイトル獲得や国際大会で活躍。リレハンメル(’94)、長野(’98)冬季五輪代表選手として日本モーグル界のリーダー的存在となる。米国ユタ大学スポーツ生理学部卒業後、父、三浦雄一郎のエベレスト遠征をサポートし、エベレストを含む8000㍍峰3座に登頂(チョーオユー、シシャパンマ)。ミウラ・ドルフィンズ低酸素室トレーニングシステム開発研究所長、低酸素下においての遺伝子発現・抑制の研究(専攻・加齢制御医学 アンチエイジング)を行い、また子供から高齢者までの幅広い年齢層やアスリート向けのトレーニング及びアウトドアプログラムを国内外で数多く手がけている。 フリースタイル競技・解説者としても活躍。博士(医学)、慶応義塾大学特任准教授(大学院 政策・メディア研究科)

倉岡 裕之 くらおか・ひろゆき

1961年 東京都生まれ。14歳より登山を始める。1983年ガウリシャンカール西壁イエティー同人隊員としてヒマラヤデビュー。1984年ベネズエラエンジェルの滝世界初登攀(テレビ東京)。1985年映画「植村直巳物語」山岳スタッフとしてアラスカへ。マッキンリー南壁アメリカンダイレクトルート、アルパインスタイル第三登。2014年平出和也、中島健郎とミャンマー最高峰カカボラジ(NHKスペシャル)。1996年より8000m峰ガイドを開始。2004年より世界的に有名なHimalayan Experienceの登頂ガイドとしてエベレスト、チョーオユー、マナスルをガイド。2018年までのエベレストガイド登頂は9回(北側4回、南側5回)。日本人初の世界7大陸最高峰のガイディング。その他南米、インド、パキスタン、中央アジアの高峰のガイディング。極地ではグリーンランド最高峰、東シベリア最高峰などに登頂(ガイド)。ミウラ・ドルフィンズ制作のグレッグスタンプフィルム「SIBERIA」のエクスペディションコーディネーターとして参加。アマゾン、オリノコ、ニューギニアなどのジャングル物も得意とする。アコンカグア登頂は11回。 日本山岳ガイド協会山岳ガイド・ステージⅡ。2013年エベレスト三浦隊登攀リーダー

大城 和恵 おおしろ・かずえ

1967年 長野県生まれ。医学生の時から北アルプスに通う。大学病院勤務を経て、02年札幌へ移転。北海道大野記念病院に勤務。’10年、英国にて国際山岳医UK Diploma in Mountain Medicine(UIAA (国際山岳連盟)/ ICAR (国際山岳救助協議会)/ ISMM(国際登山医学会) 認定)日本人初の取得, ‘15年日本人として唯一Wilderness Medicine Medical Society米国野外医療学会のフェロー授与。'11年全国初の取り組みである北海道警察山岳遭難救助アドバイザー医師として救助現場への医療導入制度を実現。現在、富山県警察山岳遭難救助アドバイザー、長野県山岳遭難対策特別アドバイザーも務める。「山岳医療救助機構」https://sangakui.jp を主宰し山岳活動における安全と実践的医療の普及に取り組んでいる。2018年, 日本人女性医師初のエベレスト登山に成功。2013年エベレスト三浦隊、ドクター

平出 和也 ひらいで・かずや

1979年 長野県生まれ。ICI石井スポーツ所属アスリート。2001年からヒマラヤ登山を開始し、2008年インド・カメット(7756m)南東壁初登攀に成功。その功績を称えられ仏「ピオレドール(金のピッケル)賞」を日本人として初受賞。2017年パキスタン・シスパーレ(7611m)北東壁初登攀に成功し2度目のピオレドール賞を受賞。アスリートとしての経験を活かし山岳カメラマンとしても活動している。2013年には三浦雄一郎の80歳でのエベレスト登頂を記録した。これまでアメリカのプロジェクトなど含め8000m峰では7回撮影を成功させている。2013年エベレスト三浦隊、カメラマン

中島 健郎 なかじま・けんろう

1984年生まれ。奈良県高取町出身。関西学院大学理工学部に入学し、山岳部に所属。学生時代にネパールの未踏峰2座を含む本格的登山に取り組む。大学卒業後、プロ登山家竹内洋岳やイッテQ登山部にカメラマンとして参加。個人の山行を行いながら、高所登山をメインとした映像、スチル撮影も手掛けている。2017年のシスパーレ北東壁初登攀で平出とともにピオレドールを受賞。

貫田 宗男 ぬきた・むねお

1951年 山口県生まれ。高校山岳部で登山を始める。20歳でヨーロッパ・アルプスへ。マッターホルン北壁敗退、マッターホルン、アイガーのノーマルルート、シャモニ針峰群を多数登る。22歳で渡米。79年今井通子を隊長とするカモシカ同人ダウラギリ縦走隊に参加、ダウラギリV峰(7,618m)登頂。91年、チベット側北陵からチョモランマに登頂。94年、ネパール側南東稜から2度目のエベレスト登頂。95年に日本初の山岳コンサルタント会社「ウェック・トレック(WEC)」を創業。世界の山々を目指す登山隊や撮影隊のコーディネーター、日赤の海外災害支援や通信衛星端末のレンタルなど海外遠征のノウハウを生かした業務につく。その後、チョーオュー、マナスル、他七大陸最高峰キリマンジャロ、エルブルース、コジオスコ、マウント・ビンソン登頂。2003年から三浦雄一郎3度のエベレスト挑戦や、07年より日本テレビ番組「世界の果てまでイッテQ!」登山部、10年よりNHKデジタル衛星ハイビジョン番組「世界の名峰グレートサミッツ」に関わる。㈱ウェック・トレック顧問、公益社団法人日本山岳・スポーツクライミング協会登山部国際委員会常任委員、公益社団法人日本山岳会会員、日本勤労者山岳連盟顧問。

 

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